三方良しの会について

三方良しの会は、大間々町のよさを多くの人に知ってもらいたいという熱い思いを持った人たちの集まりです。大間々町の中でもとくに昔の面影を残す3、4丁目に店を構える店主たちが発起人となり、この会を立ち上げました。

 

「三方良し」というのは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の商いの心を指す言葉です。江戸時代に当地に入ってきた近江商人の存在と「三方良し」の商いの精神が、この地域の商業の発展に大きな影響を与えてきました。その精神を学び、次の世代に引き継ぐために発足したのが、「三方良しの会」です。

 

「三方良し」の会 会長 松崎靖

 

大間々の近江商人

今から250年ほど前の明和6年(1769)に作られた契約書が残っており、そこに「大間々の長澤小兵衛が近江日野二本木村の佐兵衛に酒蔵や酒をつくるための道具を年12両で貸す」とあります。その50年後、大間々の本町通りに常夜灯の明かりが灯りはじめた文政2年(1819)の神明宮「大泉院日記」には、その年の神明宮の上棟祝いに町内の酒造屋6軒(十一屋、中屋、和泉屋、和田屋、日野屋善兵衛、日野屋太助)から樽で御神酒が献上されたと記されています。この6軒のうち4軒は近江商人でした。

 

さらに、天明7年(1787)に創業した醤油醸造の河内屋忠兵衛も近江国日野町鎌掛(かいがけ)の出身で、大間々には5軒の近江商人が活躍していました。河内屋忠兵衛は今も岡直三郎商店として大間々町4丁目で商いを続けています。

「清酒世界一」と「日本一しょうゆ」

大間々の近江商人のルーツとみられ、昭和初期まで2丁目で造り酒屋を営んでいた十一屋・澤與八郎は明治時代に「世界一」という銘柄のお酒を造っていました。明治36年の酒造営業調べでは、澤與八郎(世界一)461石、奥村九右衛門(福栄)251石、近藤玉吉(羽根滝)217石、山崎熊吉(鬼面山)183石という記録が残っています。岡直三郎商店の「日本一しょうゆ」が人気を呼んでいますが、「清酒世界一」が今も残っていたら大きな話題になっていたことでしょう。

近江商人の「三方良し」のエピソード

大間々では江戸時代から頻繁に大火がありました。なかでも明治28年4月26日に2丁目で起こった火事は被害が大きく、家屋273戸、土蔵23棟、町役場、警察署、銀行、小学校などが焼失しました。

 

その火事を消したのは、4丁目の岡直三郎商店に貯蔵されていた大量の醤油であったと伝えられています。また、岡商店が掘った井戸の1つは周辺に住んでいる人たちが使えるようにという配慮から、塀の外側の路地に面しています。この井戸は現在も周辺の人たちが井戸組合を作り、無償で使わせてもらっています。

 

「三方良し」の会では先人たちを見習い、「誰かに喜んでもらえること」を実践しながら、心温まる新たなエピソードをたくさん作っていきたいと思っています。